神はご自身を人に分与して、人を再生し、造り変え、栄光化する

神はご自身を人に分与するために手順を経られました。

第一段階-肉体と成る

神ご自身を人に分与するために、神が取られた第一段階は、肉体と成ること、人となることでした(ヨハネ1:14)。彼が肉体の中にあった時、一方で、彼は人の罪を取り除く神の小羊でした(ヨハネ1:29)。もう一方で、彼は青銅の蛇でした。それは、彼が肉体と成られたこと、すなわち、彼が罪の肉の様で遣わされたことを示しています(ローマ8:3)。青銅の蛇として、彼はただ蛇の形を持っておられましたが、彼には蛇の毒がありませんでした。主は肉体の中にありましたが、彼は十字架に上げられて、サタン、年を経た蛇を破壊しました(ヨハネ3:1412:31)。さらに彼は一粒,の麦であり、彼は地に落ちて、死なれました。彼は死を通して神の命を解き放ちました(ヨハネ12:24)。

第二段階-命を与える霊と成る

神がご自身を人に分与するために取られた第二段階は、命を与える霊と成られたことです(Iコリント15:45後半)。この二つの段階には二つの「成った」があります。主は、まず肉体と成り、次に彼は命を与える霊と成られました。彼が肉体と成られたのは贖いの達成と神の命の解放のためでした。命を与える霊と成られたのは、その霊としてのご自身を人の中に分与し、人の命となるためでした(神がご自身を分与するのは、命、性質においてであり、神格においてではありません.すなわち、神の分与により人は礼拝の対象となることは決してありません)。

キリストは、復活の中で命を与える霊と成られました(Iコリント15:45)。そのような霊として、彼は、彼を信じる人たちが受けることができる準備をされました。わたしたちが彼を信じると、すぐに復活の中で命の霊は、わたしたちの霊の中に入って(ローマ8:16)、わたしたちの霊の中に住まわれます(ローマ8:11)。

信者を再生し、造り変え、栄光化する

命を与える霊として、キリストは、まずわたしたちの霊を再生しました(ヨハネ3:5―6)。 それは天然の命に加えて、わたしたちが新しい人の新しい源と新しい要素としての神の永遠の命を受けることです。この後、命を与える霊としてのキリストは、わたしたちの霊から広がって、魂を造り変えます。

わたしたちが魂の主要な部分である思いを霊につけて、わたしたちの内側の霊なる主の活動と働きに協力するなら、わたしたちの思いは更新されるでしょう(ローマ12:2)。わたしたちの思いが更新される時、わたしたちの魂の別の部分である意志と感情も自然に更新されるでしょう。こうして神の命と性質はわたしたちの中に加えられ、わたしたちはキリストを表現するために新陳代謝的に彼のかたちに造り変えられるでしょう(IIコリント3:17―18)。

最後に、彼はわたしたちの体を変貌させるでしょう。そして、わたしたちの体が贖われて彼の栄光の中に入ります。また、わたしたちの全存在はあらゆる面で彼のようになるでしょう(ローマ8:1723ピリピ3:21Iヨハネ3:2)。これは、神の救いの究極的完成です。神は、彼の救いの中で、最初にわたしたちの霊を再生されました。今、彼はわたしたちの魂を造り変えておられます。最終的には、彼はわたしたちの体を変貌させるでしょう。そうして、わたしたちの三部分はその霊で浸透され、あらゆる面でキリストのようになります。これらの各段階はすべて、わたしたちの中に行なわれる神聖な分与の重要な部分です。

 

本記事はJGW日本福音書房出版のウイットネス・リー著 「神のエコノミーと神の分与」第二章より抜粋されています。

神が経られた手順に関して:これは様態論を述べているのではありません。詳細はこちらの記事をご参照ください。